リスボンレポート 2013年6月 その2 【マエストロAntónio Rocha】

6月2日にファド博物館の来館者向けミニライブから国立馬車博物館での有名Casa do Fadoプレゼンライブシリーズのはしごで「最後の伝説」António Rochaのおっかけをしてきました。

過去にもいたるところで取り上げてきたAntónio Rochaは御年75歳にして、黄金時代のファドを今に伝える名ファディスタ。真のファディスタであり、真のEstilistaはもう彼しか残っていないと言われる人物です。
Estilistaとは、平たく言えば歌うたびに、そして一曲の中でも1番ごとにメロディーやニュアンスを変化させて歌えるファディスタのこと。本来のファドのスタイルですが、CDを聞いて学んだ世代には不可能な技術だとも言われています。

彼は私がファド博物館に留学していた2002年から2003年にかけて、ごく短い期間ですが斜め向かいのレッスン室で歌のレッスンを受け持っており、よくお世話になりました。Mauro Nevesの師匠でもあります。
6,7年ほど前に喉の手術を受けてからはさらにストイックな生活を送っているようで、この日もそういった一面が見られました。

17時ごろから3,4曲という予定で、16時前に楽屋入り。楽屋といってもいつものレッスン室。「私の声は夜用だから、まだまだ寝たままだよ」なんて言いつつ、おそらくルーティーンである独特なウォームアップに入ります。
ひとしきり終わって一息ついているところへ質問。

―――マエストロ、あなたの考えでは史上最良の伴奏者は誰ですか?
「そんなのわからないよ。ファディスタとの相性にもよるし」
―――では、あなたにとっては。
「これもわからないよ。そもそも伴奏者は毎回違うものだし、場所、時間、客、歌うファド、そのときのお互いの心理状況にもよるし、ファドは毎回違うものだから」

実に予想通りの回答ですが、予想通りなのと予想するだけでは大違いですので、確認できたことは収穫でした。そしてマエストロの口から飛び出す、共演経験のあるレジェンドの名前の数々。もちろん彼もレジェンドなわけですが。

ファド博物館でのミニライブは来館者ならだれでも自由に見ることができ、他にも日によってはNuno d’AguiarやMaria Amélia Proençaも出てくることのある企画です。落語で言えば桂米朝さんが出てくるようなものと言えばわかりやすいでしょうか。わかりにくいのか。

外で行われている屋外ライブのサウンドチェックの騒音を気にしつつ、まずはFado Maria Ritaに乗せて自作の詩”Procura Vã”を。続けてFado Pechincha、Fado Súplica。最後には騒音もあまり気になっていない様子でした。古典ファドを自在に歌いこなす能力はさすが。Fado SúplicaはAlfredo MarceneiroがFado Cufに乗せて歌ったファドそのものを表現した詩”Teoria do Fado”でした。

IMG_0677
解説:津森久美子さんがファド博物館の楽屋で2ショット写真を撮っていたので、提供していただきました。(C)オフィスフロール

ここから次の国立馬車博物館へはバスで1本。近くのバス停へ向かうとそこにはマエストロ。Mauro Nevesから彼は徹底してタクシーに乗らないと聞いていましたし、以前屋外ライブから地下鉄で移動しているのに鉢合わせたこともありますので意外ではなかったんですが、相変わらずだなあといったところ。

馬車博物館の展示スペースでは週代わりで大手のCasa do Fadoがプレゼンをする企画が行われています。その1週目がBairro Alto代表のO Faia。昨年のレポートでも取り扱った店です。チケット16ユーロは過去に行われてきたこの時期のファドのコンサートにしては決して安い価格ではありませんが、無形文化遺産登録の際に掲げた目標の一つ「Casa do Fado文化の再興」を考えれば、むやみやたらと無料や安価でライブを行うのではなく、きっちりと価値を示した上でプレゼンテーションを行うのは良い傾向ではないかと思います。

トップバッターはRicardo Ribeiro。今リスボンで最も油ののっている若手男性ファディスタです。巨体をゆすってステージへ上がる際に段を踏み外したり、スタンドからマイクを取るしぐさがコミカルで、その直後のMC「少しお話しますね。しゃべるのが好きなんで」といったところからも人柄が感じられました。
もちろん話す内容は店のプレゼンテーション。店の成り立ち(2012年のレポート参照)やBairro Alto地区の古くからの傾向などをうまくまとめて話していたように思います(私自身そこまでポルトガル語が達者じゃないので、わかったとこだけで)。
歌ったのは古典がメイン。間に「質朴の天才」João Ferreira-Rosaの名曲”Arraial”をはさんだ良質なステージでした。

4曲ほど歌って次の歌手を紹介。「偉大なファディスタであり、ファドの歴史でもある。そして真のEstilista」と呼び込まれたのはもちろんAntónio Rocha。パフォーマンスもかねて恐る恐る段差をおりるRicardo Ribeiroと、颯爽と登場するマエストロ。どちらも好感の持てるけれん味でした。

ここでもはじめに歌ったのはFado Maria RitaとFado Pechincha。しかし先ほどとは明らかに違う。そしてFado Versículo、Fado Manuel Mariaと続いたんですが、ファド博物館でもここでも曲目の並べ方が白眉。

古典ファドにはいくつか形式があるのですが、それらを続けて歌う際は同じ形式を続けて歌わないという暗黙の了解があります。このルールを知るファディスタが少なくなって久しいと言われますが、彼はこれを頑なに守っています。内容的には以下の通り。

Fado Maria Rita=sextilhas(7音節6行詩を歌うための曲)
Fado Pechincha=quadras(7音節4行詩を歌うための曲)
Fado Súplica=Decassílabos(10音節4行詩を歌うための曲)
Fado Versículo=Vercículos((7音節+3音節)4行詩を歌うための曲)
Fado Manuel Maria=(sextilhas(7音節6行詩を歌うための曲))

曲間のMCは「これは私の仕事ではない」とばかりに曲名以外ほとんどなし。4曲歌い終わると風のように去る。できる男にのみ許されるかっこ良さ。

続いてはAnita Guerreiro、そしてトリはもちろんLenita Gentil。彼女たちについては昨年書きましたのでそちらをご参照ください。トピックとしては

・Anita GuerreiroにBeatriz da conceiçãoと通づる自由さをみた。マイクを叩いて拍手したり手でヘッドを拭いたり手を動かしすぎてマイクが外れたり。そりゃ普段マイク使わないものね。
・Lenita Gentilが古典も古典Fado das Horasを歌う際には「マイクを使わず歌います」。これは彼女がコンサートものに出る際のお約束。前のほうの席にいたファンたちは一緒にその台詞を言っていました。

といったところ。各自のMCを含め、コンサートとしてとてもまとまっていたように感じました。
来週はSr.Vinhoとのこと。伴奏を我が兄Paulo Parreiraが務めるようなら行ってみようかなと思います。

1°(月本)