リスボンレポート 2014年夏 その4 【8/27 若いファディスタと老ファディスタ】

Costa Capa Rica

Costa Capa Rica

休養日。
妻と田中は近場の海へ、私はファド博物館とアパートを行ったりきたりして仕事を済ませたのちあれこれしてからコロンボショッピングセンターへの流れ。アルマゼン・シアードのfnacになかったCDと自転車用品を探しに。近年の流行に流されてロード自転車をたしなんでいるのですが、ウェアや手袋はたいていリスボンで買ったものを使っています。

まずは先日の電話代の件で学生寮へ顔を出しに。レセプションのパトリシアにアポをとってもらって寮長カタリーナの部屋へ。
彼女が毎年気に入ってくれているというM.T.E.Cファドカレンダーを渡して4,5分話し、次の用へ。パトリシアは息子が10歳になったとのこと。「もうそんなに時間がたったんだね」「ホントにね」てな会話をし、同じくレセプション担当のマブダチであるジョルジュによろしく伝えて欲しいと言って寮を出ました。

コロンボでは昨年購入したCDシリーズで欠番だったものが見つかったので購入し、スポーツ店ではポルトガル国内ブランドのウェアを購入して最上階のフードコートへ。実は昼はバイシャにある馴染みの店でレイタォン(豚の丸焼き)サンドを食べようと思っていたんですが、ここもバカンス中。観光シーズンならではタイミングの合わなさもあります。27_2
フードコートではベタにお米とフライドポテトに牛肉を乗せて目玉焼きを落としたもの(Bitoque)にビールとエスプレッソがついたものを。ふとこれって牛丼に玉子をつけたみたいなもんとちゃうのと思いました。

食べ終わったところでパレイラから電話がかかってきて、ジュンコとトモコはどうしていると聞かれたので「海に行ってるよ」と答えると「ああ、それは大変だ。男をさがしに行ったんだ。もうお前のもとには帰ってこないぞ」と笑う68歳。アレンテージョに帰って声もこころなしかリラックスしていたようです。

ジャージの「BERG」がポルトガル国内メーカー

ジャージの「BERG」がポルトガル国内メーカー

家に帰って購入したサイクルジャージがジュニアサイズだったことに気づいたけれども着られることを確認してから仮眠。起きて少しすると女子2名が無事帰ってきました。

夜はスーパーで鳥の丸焼きを買ってきて、アパートの冷蔵庫に入っていたハバナクラブと合わせてみる。レモンもライムも鳥も、食べるものが本当に安い。複数名で滞在される場合は旅行者向けのアパートをお勧めします。

Traveling to lisbon

airbnb

今夜はアパートから徒歩2分のMesa de Fradesへ。ここ10年ほどで一気に名前を上げたCasa do Fadoです。大きな扉は教会を改装した名残り。時々大物を招聘したり、まだ駆け出しの有望株が出演したり、しかもそれぞれがその夜のステージを1人で勤めるため「外れ」がほとんどありません。その上ライブチャージをとらないスタイルがファド聴きに人気の店です。ファディスタも気取らずデニム姿で歌うこともよくあります。
本日のファディスタはマティルダ・マルサォン。本人に聞いたところCDもまだ出していないとのこと。しかしなかなかの歌いっぷり。同じMesa de Fradesでメジャーデビュー前のカルミーニョを聞いたときと似たような印象を受けました。

Mesa de Frades(ファド入門アプリ「ファドの世界へようこそ」より)

Mesa de Frades(ファド入門アプリ「ファドの世界へようこそ」より)

1本目のステージを終えて常連客の反応も上々。隣で私と同じく立ち見していたAlfama生まれの青年と「いいよねぇー(意訳)」と感想を言い合って意気投合しました。食事に来ていた観光客は休憩に入るとともに去り、我々も次のステージまでいったん店を出ることに。人いきれがすごかったのでリフレッシュがてらにAlfama散歩です。
これまではファド博物館前のシャファリス広場を中心としたエリアがAlfamaにおけるCasa do Fadoの中心でしたが、最近はRua dos Remédiosに曜日限定のFadoo Amador(アマチュア店)が増え、通りを歩くだけで漏れ聞こえてくるいろんなファドを楽しむことができます。我々も今回はこの通り沿いにアパートを借りました。

例のごとく通りで知った顔と挨拶を交わし、またMesa de Fradesへ。奥の席に陣取ってステージを待ちます。1本目で手ごたえをつかんだのか、マティルダも笑顔でタバコを吸っていました。

あらためて店内を眺めると、客席ほぼ中央に10歳前後の少年がギターラを抱えぽろぽろと弾いていました。決して天才少年現るといったわけでなく、とつとつと。それもまた良い雰囲気でした。そこへ遊びに来ていた若手の有望株ヴィオリスタが伴奏をつけます。1曲終わり、客席からも拍手。とても良い雰囲気。すると少年の隣に座っていた老婆が「Fado Carricheをこのキーで弾きなさい」と言う。始まるイントロ、暗くなる照明、老婆が歌いだし空気が集約されてゆく。自然にファドが生まれる素晴らしい時間。曲が終わって拍手がおこり、マティルダも惜しみない拍手。続いてもう1曲。今度はFado Menor do Porto。ほほーと思いつつよく見ると老婆、超有名ファディスタじゃないか。2曲目が終わってもさらに3曲目4曲目と続く。マティルダの顔が徐々に曇りだし、うつむいてしまう。もとより老ファディスタは歌唱力で有名になった人ではなく、最近は「~氏絶賛」というふれこみに名前を貸すことで露出のある人物。歌自体にそれほどスペシャルなものがあるわけでないので、何曲も続くといたたまれない気持ちになってくる。

そばにいたマティルダにそっと聞いてみる。
「歌わないの?」
「知らないわよ(苦笑)」
「たしかに彼女には誰も何も言えないよね」
「(黙ってうなづく)」
これはチャンスかなと思って耳もとインタビューを決行しました。
「どうやってファドを勉強したの?さっきのFado Maria Victóriaなんて実際に歌っている人初めて見たよ。よければ彼女(田中)にも教えてくれない?」
すると急に早口になるマティルダ。
「教えるなんてできないわよ。だって教えてもらったことがないんだもの。とにかくFado Vadioに行って歌いまくったの。『歌えるか?』と聞かれたら歌えなくても歌える顔して歌い続けるの。そうしたらこうなったわ。曲はCDも聴いたけど、Vadioで他の人が歌っていて良いなと思ったのを覚えてレパートリーを増やしたわね」
こういった叩き上げの若手が増えてくれば、従来のファド文化が再評価され保たれてゆくのではないかと思います。

結局老ファディスタは5曲歌って終わり、照明が明るくなる。1ステージつぶされたマティルダは一目散に外へ。1晩を1人で受け持つこの店で若手が歌うというのは相当のチャンスなので、悔しさも推して知るべし。
時間は午前1時半。我々もどっと疲れたのでこれで帰ることに。マティルダは残っていってよと言ってくれたのですが、日本人は寝るのが早いんだよと言って遠慮しました。次回訪れた際、彼女の評価がどうなっているか楽しみです。