リスボンレポート 2014年夏 その5 【8/28 Grande Fadista アニータ・ゲレイロ】

ブラジルに休暇で帰っていた盟友マウロ・ネーヴェスがリスボンに寄ってから日本へ戻るとのことなので、ホテルのロビーでおちあうことに。上智大学ポルトガル語学科教授で上智ファド会の主宰。そして田中智子の恩師です。以前研究休暇でリスボンに滞在した際、「最後の伝説」アントーニオ・ローシャにファドの歌唱を習っていました。

10年以上の付き合いで頭部もそっくりになってきました。

10年以上の付き合いで頭部もそっくりになってきました。

連れだって、リベルダーデ大通りのAvenida駅近くにあるなじみの食堂へ。しかしここもバカンス中で開いておらず。どうしようかと思っていると、後ろから携帯電話で話しながら歩いてきたスーツの男性が「この先の角を右に曲がってすぐのところにすごく良い食堂があるよ」と我々に告げて追い越してゆきました。ネーヴェスと「店のまわし者かなあ」と疑いつつ歩いてゆくと、その男性は違う酒屋に入ってゆきました。だったら大丈夫かと十字路を右に曲がって件の食堂へ。入って食事をしてみると安くておいしい「当たり」の店でした。
おおむねリスボンの人々は旅人に親切な印象があります。これは学生時代に初めて訪れたときから印象が変わりません。

Mouraria

お疲れのネーヴェスと別れ、我々は市電28番線に乗ってファド4大聖地のひとつMourariaを抜け、アパートのあるこちらも聖地Alfamaへ。帰宅するついででSanta Engrácia教会に寄りました。

Santa Engrácia教会Alfamaの西の玄関がSéなら東の端はこのドーム。サラザール体制のころから国の偉人たちの霊廟となっています。バスコ・ダ・ガマ、ブラジルに「到着」したカブラール、「桂冠詩人」カモンィスといった本物の棺かわからないものからシドニオ・パイス、オスカル・カルモナ、ウンベルト・デルガードなどポルトガル近現代史を学んだものにはグッとくる名前が並びます。

 

その中にもちろんアマーリアのものも。彼女の棺の前にはお花が供えてありました。

 

夜は少しゆっくりめに22:00すぎよりO faiaへ。Lusoとは違うスタンスでバイロ・アウトの盟主に君臨する名店です(過去のレポート参照)。タイミングの関係か、本日の出演者がすごい。若手男子実力ナンバー1のリカルド・リベイロ、前述の「マエストロ」アントーニオ・ローシャ、往年のレヴィスタ(ファド歌劇)スターであるアニータ・ゲレイロ、O Faiaの創設者で偉大なるファディスタ ルッシーリア・ド・カルモからの系譜を受け継ぐ不動の大エースレニータ・ジェンティウとオールスターキャスト。前座なしの4番バッターが並ぶ展開でした。

我々が到着したときには既にマエストロとリカルドのステージは終わっており、アニータから。Fado Sardinhadas、Coimbra、Cheira a Lisboaと歌い盛り上がる。そしてトリのレニータ・ジェンティルもいつもどおり迫力のステージ。出演者が1周したので食事客があらかた帰って2周目に。誰から出てきても贅沢な中、リカルド・リベイロのFado Três Bairrosから。続いてArraial、Fado Albertoと淡々と歌う素晴らしいステージ。しかしながら先ほど入ってきて我々の前で食事をしているポルトガル人客たちがうるさい。リカルドが去ったあとに席を変えてもらえるようお店にお願いし、次のアントーニオ・ローシャのステージは真横で聞くことになりました。Fado Pechincha,Fado Proençaと続き、最後に圧巻の長編Fado Menor。6,7分、8番から9番ある詩を毎番違うメロディーラインで歌う。もちろん即興。全く飽きない。最後の伝説と呼ばれる所以です。

1969年『Plato do Dia』 リスボン市立ファド博物館蔵 (アプリ『ファドの世界へようこそ』より)

インターバルの間に、今回制作したアプリで使用したレヴィスタの写真をタブレットに出しながらアニータと少し話しました。
「ドナ・アニータ、この写真あなたですよね」
「また古い写真を持ってるわね。どうしたのこれ?いつのかしら」
「ファド博物館から借りて、先日出版した自著に掲載したんですよ。1969年の”Prato do Dia”です」
「そう!これマリア・ヴィットーリア劇場よ。さっき歌った”Fado Sardinhadas”がテーマ曲だったの」
「そうなんですか!あなたの曲だったんですね」
マリア・ヴィットーリア劇場はParque de Mayerにあったレヴィスタの最高峰。さすがはエルミーニア・シウヴァと並び称されるレヴィスタの女王。黄金期が始まったのがおよそ80年前で、その終焉が40年前。まだ歴史の証人から直接話を聞けるのもまたファドの面白いところです。

珍しくアニータが2周目のステージに登場。レヴィスタの曲も歌いつつ、古典曲のFado Franklim 4asも混ぜてきました。Fado Franklim 4asといえば、昨年のレポートの最後に書いたテレーザ・タロウカのテーマソング。ふと気になってステージ後にテレーザ・タロウカが最近どうしているか知らないか聞いてみました。するとアニータも知らないとのこと。
「しばらく歌ってないでしょ。魂のある良いファディスタだったのだけど」
人の往来も文化のうち。お世話になった方の中に鬼籍に入られた方もおられます。日本風の言いかたをすると、縁があればまた会えることでしょう。

我々もそろそろお店から引き上げることに。入り口で待機している各位に挨拶をしました。
「ドナ・アニータ、来年も会いに来ますよ」
「来るだけじゃなくて私をトーキョーに連れていってよ(笑)」
早くしないと天国に行っちゃうわよと言いながらガハハと笑う御歳78歳。毎年6月12日夜にあるサント・アントーニオ祭のパレードでも毎年Mercado地区の山車に乗ってはしゃいでいます。昨年ははしゃぎすぎて翌日O Faiaをお休みするお茶目な一面も。P1100484
奥でPCをさわっていたアントーニオ・ローシャがゆっくりとした口調で「また会う日まで」と握手に出てくる。マエストロは一般的な”Tudo bem?”ではなく「ごきげんよう」に似たニュアンスの”Como está”と挨拶をします。

 

Alfamaのアパートまで歩いて帰る途中、知った顔の若いヴィオリスタとすれ違う。私が留学していたころにはほとんどいなかった若いギタリスタやヴィオリスタがこの10年強でずいぶん増えました。これは1998年からファド博物館が中心となって行ってきたファド行政の成功だと思います。その一方で、当然ながらファド黄金期を知る人々は着々と高齢化しています。
レヴィスタの画像を見せながらアニータに「ファドが良かった時代ですね」と聞いた際、彼女は「今も続いているわよ。スタンスがちょっと変わっただけでね」と返してくれました。その懐の深さと誇りを思い返しながらの就寝。この夜もまたスペシャルでした。