リスボンレポート 2013年6月 その8(最終回) 【Teresa Taroucaの受勲とCafé LusoのCristiano】

 今回も最後にごく個人的な話を。

 今までまったく縁がなかったんですが、今回いろんな流れから引き寄せられるように名門Casa do FadoであるCafé Lusoにたびたびお邪魔しました。きっかけは、留学時代の年末に師匠に初めて連れられて、Velho Páteo de Sant’Anaで二夜だけ伴奏したCristiano de Sousaが歌っているというので会いたくて。Cristianoは当時26歳で私は24歳。そのしばらく前から歌っていたみたいなのですが、そのニ夜目がちょうど彼の引退日だったようでした。男前だし歌は上手いし、当時16歳だったRicardo Parreiraの面倒見も良いし、ちょっとチャラいけどいいやつだなと思ったのが第一印象。私がヴィオラでクラプトンの『Tears in Heven』を弾いたら歌ってくれて、Ricardoが「それずっと弾きたかったんだ教えてくれよ」と言うみたいな風景。奥さんが穏やかで素敵な人だったのも印象に残りました。彼のFado Três Bairrosは白眉で、将来日本に呼ぶなら彼だななんてことを妄想したものでした。しかし年が明けたら彼はもうおらず、実に残念に思いながら、この10年半の間は想えど届かぬ思い出として自分の中で処理していました。

 彼がLusoで歌っていると聞いたのは3,4年ほど前。師匠がこそっと教えてくれました。それ以来会いたいと思うもののどうも一歩が踏み出せず、時間が経ってしまいました。
 そんなこんなしていたらfacebookでヴィオリスタのCarlos Manuel ProençaがCristianoの投稿をシェアしたところからつながり、メッセージを送りあうようになりました。もちろんFado Três Bairrosの話もしつつ。
 そして今回。まずO Faiaの帰りに立ち寄ったんですが、ちょうどご飯に出ていて会えず。伝言だけ頼んで帰りました。すると「水曜以外ならいるからまた来て欲しい」とfacebookにメッセージが届いていました。

 後日Tasca de XicoのBairro Alto店の帰りに寄ったらまたご飯に出ている。今度こそはと思って待たせてもらうと彼が帰ってきました。10年半ずっと抱えていた想いがあふれだして、みたいなことではなく、お互いに淡々と噛みしめるような再会。残念ながらもう閉店で歌わないとのことなので、一通り同僚と店のオーナー等などを紹介してもらい、また時間を作って来れるよう努力するよと約束しました。無理ならまた来年必ず来るから歌い続けておいてくれよ、と。

 遅ればせながらCafé Lusoの紹介をすると、Bairro Altoの北の端にあり、古めかしいフォントでデザインされた大きな看板がおなじみのシンボリックな店。ガイドブックにも必ず載っています。古くはリベルダーデ大通りにあり、Amália Rodriguesの名盤「Café LusoのAmália Rodrigues」はそちらで収録されました。
その後経営が元のオーナーの親戚筋に移り場所も引っ越して、今に至ります。趣向が凝らされた店内に賛否両論ある舞台と音響設備を使う日もあれば、他のCasa do Fado同様客席で演奏することもあります。
 現オーナーはかなりのやり手で、いったん店をたたんだこちらも名門Adega Machadoを買い取って再開させたとのことです。

 さて、また別の日に用事の後23時半ごろLusoに行ったらちょうどいました。先日渡し忘れた私のCDと奥さんへのプレゼントを渡しつつ、明日時間ができたから来るよと伝えると、明日はアルマダのコンサートにメインで出演するからここには来ないんだとこれまたすれ違いの展開。俺の出番があるかわからないけど次に歌う子がうまいからとりあえず中に入って聞いていってくれと言ってくれたので、お言葉に甘えることに。入ってみたら先日Neloで会ったLuísの義兄Sandro Costaがいて、弟から聞いているよとお互いに。彼の楽器を借りて控えスペースで伴奏隊と遊んでいたら、Luísが顔を出しに来て、Tumi(リスボンのファド界隈での私の呼び名)何で今日楽器を持ってきていないんだと無茶な話に。そして話の流れで、翌日LusoでSandroと一緒に弾くこととなりました。有名店でもわりとこんなノリだったりします。

 Cristianoとはいくつか思い出話。私の「母」である故Maria Bentaが実にエネルギーにあふれる人であったということとか、当時Cristianoがかけてくれた言葉のこととか、彼の奥さんのこととか。そしてTeresa Taroucaのこととか。

 Teresa Taroucaはファド黄金時代末期にFernanda Mariaと並んで活躍した大物ファディスタ。昔のステージ写真なんか、見入ってしまうぐらいの美人です。ファドの歴史書ではAmáliaと一緒に語られることの多いMaria Teresa de Noronhaの姪にあたり、同様に古典を得意としていました。
 留学していた頃は毎週土曜にVelho Páteo de Sant’Anaに出演しており、私が古典の専門家になったのは師Parreiraだけではなく彼女の歌う古典をそばで聞き続けたことの影響も大きくあります。
 初めの頃は「何で東洋人がいるのよ」という態度で、師匠が「お前Teresa Taroucaを知らないのか?それは絶対に言うなよ」と言ってきたことからも大物なのだろうと思いましたが、深くて暗い目をした人だなあというのが印象としては強く残りました。
 転機はたしか3つ。1度目は彼女が歌うときに持っていった水を忘れて戻ったときに「ドナ・テレーザ、お忘れでしたよ」と私が楽屋にもって帰ったこと。2度目は「私はFado Castiço(古典ファド)がとても好きです。なぜなら」「ああ、Parreiraの弟子だからでしょ」「いえ、あなたのそばでいつも聴いているからです」といった会話。3度目は私が肺気胸でリスボンの病院に入院、手術をしたこと。彼女自身も10代の頃気胸を経験したそうで、入院中毎晩祈ってくれていたと師匠から聞きました。そのお礼を言おうとすると「礼は言わないで。私は私があなたに帰ってきて欲しいから神様に祈ったの。これは私と神様の関係だから」とのこと。信仰の深淵に触れた気がしました。
 留学から帰る最後の晩、非番なのに鮮やかなターコイズブルーのパンツスーツで歌いに来てくれたことは記憶から消えません。
 しかしそんな彼女も私が去って1年経つころには引退し、あまり人と交流を持たなくなったそうです。以後、とても会いたいと思い続けていましたし、ある程度演奏できるようになったことを伴奏で伝えたいと思っていたんですが、何度かあった会うチャンスもアクシデントで立ち消えになってしまいました。
 そしてこれまたfacebook。彼女のページがあったので登録していたら、6月10日のポルトガルの日に大統領から勲章を受けるとのニュースが。TVで見た彼女は確かに歳を重ね足元も不安な様子でしたが、一瞬見せた笑顔にたまらない気持ちになりました。(受勲シーンはこちら

 話は戻ってまたLuso。Cristianoの言っていたファディスタの出番の直前、彼が来て「オーナーに言って歌わせてもらえることになったよ。すぐ帰らないといけないから1曲だけだけど、聴いていってくれるか」と言って歌うスペースへ向かいました。特徴的なイントロですぐにFado Três Bairrosとわかったその瞬間、一言「Tumi」と言って手を挙げてから歌いだす彼。あとは推して知るべし。歌詞はCamanéが歌って有名になり若いファディスタがお決まりのようによく歌う『Se ao menos houvesse um dia』ではなく、Maria Bentaがよく歌っていた『Sem fé』でした。

 後日談のような翌日の話。初めからいるのもお店に悪いので(観光客の団体がいる場合が多いため営業的な意味で)、ゆっくりめに行くとちょうど1周目が終わったところ。昔うちの師匠がセニョールファディスタAlfredo Marceneiroの運転手兼伴奏者として出演していたカスカイスの店で一緒だったマブダチFilipe Acácioが「中はちょっとごちゃごちゃするから外で待っとけ」と言うので表にいると、まずいたのが先日Fado in Ciadoにも出演していたAndré Vaz。続いてカフェから帰ってきたSandro Costa。そして向こうから歩いてくる見なれた顔は、旧知の歌手Liana。彼氏と手をつないでやってきました。あっという間に薄れゆくアウェイ感。

Café Luso前で待っている際のあざとい1枚

Café Luso前で待っている際のあざとい1枚(撮影:田中智子)


 時間が来て中に入っても、他の出演者や店員さんたちは先日Cristianoが紹介してくれたおかげでウェルカム。昨日少し古典ファドに関する会話を交わしていたのも良かったようで、歌う際にもこちらに気を遣うことのない選曲をしてくれました。
 私の入った2周目のラストステージ間際、これまた見知った顔。Velho Páteo de Sant’Anaでレギュラー出演している若いJoanaが控えスペースにひょっこり。歌うのかと聞くと友達のファディスタに会いに来ただけとのこと。さらに緩む緊張感。
 しかしJoana、次のステージでその友人の歌での誘い水にのって3人の合唱に参加する。こう並ぶとJoanaは美人なんだなあなんて思いながら弾いていたらあっという間にステージが終了。彼女がもっとガキっぽかった学生の頃から知っていますので、そういった目で見たことがありませんでした。

 合唱でその夜は終わり。私は早めにみんなに挨拶をしてVítal de Assunçãoに教授願うべく午前2時開店のNeloへ向かいました。次回リスボンへ来た際には、Cristianoとの共演が楽しみです。

文責:1°(月本一史)