リスボンレポート 2014年夏 その2 【8/25 再会多々】

昼着の便で来たためか、もう3,4日経っているように感じる朝。例のごとくあまり眠れませんでしたが、なるべく早い日程で用事を済ませておきたいため弱音も吐いていられません。

昨夜帰宅した後、3ヶ月前からリスボンに滞在しているファディスタのTAKUこと高柳卓也氏(以下たくちゃん)とギタリスタのMASAこと飯泉昌宏氏と連絡が取れ、アパートのすぐ近所でファドを聞いている2人合流することに。飯泉さんとは5年ぶりじゃきかない久しぶりの再会。店に入ったらちょうど日本人の女性ファディスタが歌っているところでした。面識がなかったので始めましてのご挨拶。まだお付き合いがないのでお名前を出すのは控えますが、ご挨拶をさせていただいたところ上品でとても感じのよい印象を受けました。

今日は昼にたくちゃんの盟友ヴィタウ・ダスンサォンがサン・ジョルジュ城の近くで演奏するとのことなので、それを軸にあれやこれや。実はバカンス中の師パレイラと会えるチャンスがあるのは今日と明日だけなので、それもにらみつつ。

同行している妻と田中智子に携帯電話の購入を頼み、午前中私は別行動。振り返ってみれば今日は私よりも田中の日でした。
いったんアパートに戻ってメールをチェックしたら、留学していたときから度々利用している学生寮から返信が届いている。昨年滞在した際日曜出国だったためにオフィスが開いておらず、レセプションの担当者が寮の責任者に電話したところ「来年も来るんでしょ。そのときでいいわよ」との返答を受けていました。なので今回「払いに行きたいので金額を教えてください」と送ったところへの返信。「そんなこと言ったの忘れちゃったわよテヘペロ 良い滞在と良い調査ができますように(意訳)」と書いてありました。明日何かお土産を持っていこうと思います。

25_01待ち合わせ時間の3時を目指して坂を上り散々道に迷った末、ようやく目的のお店A Tasquinhaに到着。ヴィタウに挨拶をして、秋の来日ツアーの中でうちの事務所が請け負っている大阪公演と朝日カルチャーセンターでの講座の話になりました。

Vítal d'Assunçãoの話を聞く田中と月本

Vítal d’Assunçãoの話を聞く田中と月本

ことあるごとに書いていますが、ヴィタウは本当に生き字引的にファドのことを知っており、しかもわからないことや検証のしようのないことにははっきりとそのように答え、持論の部分は持論であると前置きするフェアな人物です。市井の研究家としてもファドに関わっている者としては、彼との縁をつないでくれたたくちゃんに感謝のしようもありません。

たくちゃんや飯泉さんが到着して少ししたころ、パレイラから携帯に電話が。ファド博物館へ続く通りに入ったとの連絡。失礼を承知で中座し、一気に石畳の丘を駆け下りました。しかしパレイラ来ない。おかしいので電話したみたところ「もうちょっと」という出前の「今出ました」的返事。そう、ここはポルトガルでした。

本日月曜休館のファド博物館前で40分待ってパレイラ到着。まずは父子の抱擁から。そして「ちょっと薬局行くからついてきてくれ」と言われ、あれこれ話しながら歩く。いつもVelho Páteo de Sant’Anaの演奏前に2人で近所をぐるっと回る散歩の代わりでした。
約束どおり、そして毎年のとおり彼から楽器を借り、ついでで先ほどの店まで車で送ってもらうことに。

師であり「父」António Parreiraと

師であり「父」António Parreiraと

私がよく使う引用に「相手に対してどれだけ時間を使えるかが愛情の深さである」というのがありますが、リスボンで「父」と時間を過ごすたびにそれを実感します。

駐車場所の関係で店から少し離れたところで妻と田中智子がパレイラと抱擁を交わす。聞けば私が中座している間にヴィタウとたくちゃんのはからいで田中が歌わせてもらったとのこと。ありがたい限りです。パレイラを見送ってから店に戻りヴィタウに感謝を述べると、田中の歌の課題点を挙げてくれました。

アレンテージョ会館

アレンテージョ会館

Alfama西の玄関Sé

Alfama西の玄関Sé

ジンジーニャ

ジンジーニャ

夜はアレンテージョ会館で夕食を済ませ、ジンジーニャで一杯ひっかけてからファド博物館前のシャファリス広場に集合してたくちゃん引率のAlfama散策。角々で声をかけられ「2曲ぐらい歌っていけ」となる彼は、界隈で本当に愛されています。

最終的にサント・エステヴァォン教会の裏手にある店に腰を落ち着け、ファドを楽しむ。
伴奏者はギタリスタもヴィオリスタも若いのですが、安心感のある演奏をする弾き手でした。

代表的な古典ファド、Fado Cravoのイントロがながれた瞬間に空気がしまる。古典ファドの中でも古いファド(と言っても80年ほどだけど)の持つパワーというのは確実にあります。古いからというのではなくそういった力のあるものが残りそれ以外は淘汰されたとも解釈できますし、また聴く側の経験や記憶からくる反射的な反応とも解釈できるので、実際のところはわかりません。ただ、場を支配する何かは存在します。

ひとステージ終わって休憩に入ったところでギタリスタに次から入るかと誘っていただく。ありがたく加わらせてもらうことにして、コミュニケーションがてらのファド談義。主に変奏曲のレパートリーに何をもっているかや、歴史に残る奏者たちについて、またあの著名なファディスタはこの曲をこの詩でこう歌っていたなどなど。
伴奏者同士で理解したり理解してもらったりする要素にはテクニックや表現力などのいわゆる演奏力と、覚えている歌の曲数がどれだけあるかというのも当然重要ですが、ファドの場合それと同じぐらいどれだけファドに対する知識と見識を持っているかという点もキーになるということをこの10年強で経験則として学びました。特に私のような外国人にとってこういった初めての演奏前のコミュニケーションは、実はそれをはかられる場。質問や自らの考察を交えつつ慎重に進めます。

そんなこんなしていると飯泉さんが到着して合流。ギターラ3台体制になりました。

歌い終わった田中が「歌わせてもらっちゃっていいんですかねえ」と言う。
12年前に私が留学 3ヶ月目でまだまだ何もわからないまま師匠の横に椅子を用意されてCasa do Fadoで弾かされ始めたころとは比べ物にならないぐらい彼女は歌えるしわけもわかっているのですが、当時弾き始めて2日目に「どの曲もちゃんと弾けるようになってから店で弾きたいです」と私が言った際師匠やファディスタたちから「それはいつだ。お前はそういうふうに言ったままそのままで留学を終えて日本に帰る気か」と叱られたことを思い出しました。ファドが「習うより慣れろ」の文化であることのあらわれかなと思います。

帰ったら午前3時前。時差ぼけと、急にいろいろな思い出が頭をよぎることのダブルパンチで全く寝付けませんでした。